上野駅公園改札を抜けて
上野駅の公園改札。ICカードをかざして改札を抜け、人の波に混じって外に出る。 目の前には子連れの家族や若者たちの姿が多く見られ、いかにも週末の上野らしい活気が広がっていた。
2月とは思えないほど気温が高く、コートを着ていると少し汗ばむくらいだ。 冬枯れの木々が並ぶ広場にはあたたかな日差しが降り注ぎ、歩く人たちの足取りもどこかのんびりとしている。 こんな晴れた日の上野公園は、やっぱり最高に心地いい。

チュルリョーニス展の告知看板
公園内を歩いていると、国立西洋美術館の前に大きな告知看板が出ていた。
M.K.チュルリョーニス 内なる星図という展覧会で、2026年3月28日からの開催予告。
リトアニアの画家らしく、作品画像はどこか神秘的な雰囲気。
まだ開催前だし今回の目的地でもないので、ひとまずスルー。(迷ったが結局この展覧会は訪問せず)

目的地の看板を発見
東京都美術館の入口近くに出ていた案内看板。
東京都美術館の開館100周年を記念する大型展である『スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき』は東京の他にも山口・愛知を巡回するようだ。
東京都美術館 :2026年1月27日(火)~4月12日(日)
山口県立美術館:2026年4月28日(火)~6月21日(日)
愛知県美術館 :2026年7月9日(木)~10月4日(日
※この記事を執筆している時点ではまだ愛知で開催中。

上野公園の広場で
美術館前の広場には、子どもが自転車を走らせ、外国人観光客らしき人たちがのんびりと歩いている。そんな、いつもの穏やかな賑わい。週末といえば何かしらのイベントで活気づいているイメージがあったけれど、この日は不思議と、これといった催しもなさそうだった。

建物の外壁に貼り出された大型ポスター
建物のガラス張りの縦長スペースに、スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやきの大型グラフィックが貼り出されていた。
外光を受けて反射気味だったけど、絵の雰囲気はよく伝わってくる。

入口前の大型看板
館内の展示室入り口付近に立てられた大判のポスター。
カール・ラーション(Carl Larsson)の室内画を大きく引き伸ばしたビジュアルで、ランプの柔らかい光に照らされた食卓、棚に並ぶ陶器、黒いドレスの女性の後ろ姿が描かれている。

写真撮影OKだったため、いくつか気になったものを記録
展示室の入口で出迎えるモノクロームの家族写真
展示室に入ってすぐの壁面に、大きなパネルが掲げられていた。
セピアがかった色調のモノクローム写真で、スウェーデンの伝統的な木造建築の前に一家が集まっている。
帽子をかぶった紳士が右端の長椅子に腰かけ、子どもたちが思い思いのポーズで周りに立ち並ぶ構図は、この展覧会が紹介する芸術家たちの実際の生活に観客を引き込むための序章として機能していた。
庭に置かれたテーブルを囲んだ屋外の光景は、展示される絵画の日常的なモチーフとも呼応しており、19世紀末から20世紀初頭の北欧の暮らしぶりを生き生きと伝えていた。

冬の野原に子どもたちの声が聞こえるよう
ブリューノ・リリエフォッシュ(Bruno Lilljefors, 1860–1939)による《そり遊び》(1882年)は、金色の額縁に収まった小品ながら、雪原に展開される人物たちの動きが実に活き活きとしている。
ピンク色の低い太陽が画面右上に浮かび、雪の斜面を黒いシルエットの子どもたちが次々とそりで下っていく。手を広げて転んだ子、引っ張る子、見守る大人らしき人物。筆触は荒削りで、むしろそのおかげか、場面全体に冷たい空気と賑わいの気配が同時に満ちているように感じられた。
主に動物画で知られるリリエフォッシュが22歳のときに描いた作品で、若さゆえの勢いがキャンバスから伝わってくる一枚でもある。

カール・ラーションの台所はなぜこんなに居心地よく見えるのか
カール・ラーションの室内画に目が止まった。
白いクロスのかかった長テーブル、赤い食器棚、油ランプの光、2人の子ども、そして奥の棚に向かって立つ黒いドレスの女性。
題名はカードゲームの支度とあるのに、カードはどこにも見当たらなかった。屋外の大型ポスターでは気づかなかった色のバランスが、実物では全然違って見えた。
赤と緑の壁面、白いテーブルクロス、ランプの温かい光が、どれも互いを消し合わずにそこにある。
扉の上に書かれた「Guds Fred(神の平和)」という文字が、家族の日常に漂う静けさをそのまま絵の外へ持ち出してくるようだった。
カードゲームはまだ始まっていない。子どもたちが席につく前の、あの少し手持ち無沙汰な時間が切り取られているのだと気づいたとき、構図の意味が少し変わって見えた。

黄金の夕焼けと2艘のヴァイキング船
グスタウ・アンカルクローナ(Gustaf Ankarcrona, 1869–1933)の《太古の時代》(1897年)は、ほぼ水平線を二分する構図で圧倒する大作だった。
深い緑黒色の森が地平線を占め、その上に溶けるような黄橙色の空。暗い湖面を2艘の帆船が静かに進んでいく。船体の細部や人物はほとんど影になっており、絵全体が神話的な静けさに包まれている。解説板によれば、ヴァイキング時代をモチーフに描かれた作品とのこと。現実の光景というより、遠い時代の記憶の断片を油彩に固めたような画面だった。波打つ水面がまるで写真のように美しい。

精神の闇から生まれた4つの顔
アーンシュト・ヨーセフソン(Ernst Josephson, 1851–1906)の《恍惚とした人々》(1888年以降)は、展示室の中でも一際異彩を放っていた。
板に油彩で描かれた縦長の画面に、4つの顔がぎっしりと詰め込まれている。青みがかった瞳の人物、金髪の人物、赤ら顔の人物、白い肌の人物。どの顔も焦点が定まらず、夢うつつのような表情を浮かべている。キャプションには、心身の疲弊から精神を病んだヨーセフソンが医師の勧めで描き続けた作品群の一つとあり、右下の人物はヨーセフソン自身とも言われるという。技法の巧拙ではなく、絵を描くことへの強迫的な衝動が染み出すような一枚だった。

ユトリロに似ている気がした理由
エウジェーン・ヤンソン(Eugène Jansson, 1862–1915)の《ティンメルマンスガータ通りの風景》(1899年)は、石段の街路を夜に描いた作品だ。
青みがかった灰色の建物、うねるような筆触の空、石段の手すりに沿って染み込む黄色い明かり。
構図がユトリロっぽいなーと思ったのは、建物の正面を真っ向から押し出す構図と、うらぶれた都市の夜気を漂わせる色調が重なって見えたからだと思う。ただ、ヤンソンの筆触はより粗く動的で、光源の扱いがもっと劇的だ。細い光の筋が石段の側面を滑るように伸びており、夜間の街路の冷たい空気が画面から立ち上ってくるようだった。

パンフレットの表紙を飾っていた一枚
アウグスト・ストリンドバリ(August Strindberg, 1849–1912)の《ワンダーランド》(1894年)は、この展覧会のパンフレットにも掲載されていた作品だ。
暗い森の奥に、中央だけぽっかりと白く発光するような空間が広がっている。深緑の影、小さな草花の点描、そしてその中心に向かって広がる白光。キャプションには、当初は「日没の海が見える森の中」を描くつもりで制作を始めたが、過程でまったく別の景色に変容したとあった。パレットナイフで大胆に盛り付けられた絵の具の厚みが画面に凹凸を生み、実物の前では写真では分からない質感を直接確認できた。

スウェーデンで「最もスウェーデンらしい絵」と呼ばれた風景
オーロフ・アルボレーリウス(Olof Arborelius, 1842–1915)の《ヴェストマンランド地方、エンゲルスバリの湖畔の眺め》(1893年)は、夏の湖を描いた穏やかな横長の作品だ。
手前の砂地に小舟が1艘乗り上げており、中景には鏡のように静まった水面が広がり、対岸の緑が空の青と白の雲を映している。解説によれば、この作品は「最もスウェーデンらしい絵」として人々に親しまれてきたとのこと。たしかに、劇的な構成も強い色彩もなく、空と水と樹の三者が静かに釣り合っているだけなのに、見続けるほどに空気の涼しさのようなものが伝わってくる画面だった。

水面だけで一枚の絵が成立するとしたら
グスタフ・フィエースタード(Gustaf Fjæstad, 1868–1948)の《川辺の冬の夕暮れ》(1907年)は、会場の中でも構図の特異さで際立っていた。
画面の上端近くに薄雪の岸があり、枯れ木の幹が左右から垂れ込めているが、それ以外の面積はほぼすべてが川の水面だ。波紋が同心円状に広がり、そこに反射した黄緑色の夕光が水平の縞模様を作っている。近づいて見ると筆触ではなく、細い点と線の組み合わせで水の揺れが描かれていることが分かる。タペストリー製作でも知られるフィエースタードらしい、装飾的でありながら自然観察に基づいた表現だった。

日没後の群島、岩肌に残る最後の赤
ゴットフリード・カルステーニウス(Gottfried Kallstenius, 1861–1943)の《群島の日没》(1907年)は、暗褐色が支配する重い絵だ。
日が沈んだ直後の空はすでに暗く、水際に突き出た岩だけが夕焼けの残光を受けてオレンジ色に染まっている。その色が黒い水面に映り込み、画面中央から下にかけて炎のような反射が伸びている。群島特有の無骨な岩の形状が丁寧に描き込まれており、スウェーデン沿岸部の地形の荒さと美しさが一枚に凝縮されていた。静かなのに息が詰まるような画面で、他の作品とは一線を画す暗さがあった。

北欧の海の色はこれだったのか
カール・ヴィルヘルムソン(Carl Wilhelmson, 1866–1928)の《ゴースウー小岩島》は、この展覧会の中で最も鮮やかな青を持つ作品だった。
海岸線から見渡す視点で、大小の岩礁が点在する入り江と開けた海が広がっている。水の色がとにかく印象的で、コバルトブルーに近い深みのある青が岩礁の明るいベージュや茶色と鋭く対比している。筆触は短く積み重ねられており、どこかポスト印象派的な質感がある。ゴースウー(Gåsö)はスウェーデン西海岸の島で、ヴィルヘルムソンが繰り返し描いた場所とされている。

夏の夜の静けさをどう描くか
オット・ヘッセルボム(Otto Hesselbom, 1848–1913)の《夏の夜(習作)》(1900年頃)は、高台からダールスランドの夕景を見渡す広大なパノラマ画だ。
空の黄橙色が湖面に映り、その光の帯だけが闇に沈んだ大地の中で輝いている。手前の暗い地面と奥の輝く水、そして乱雲が広がる空が重なり、スウェーデンの夏の「薄明が長く続く夜」の特質を見事に捉えている。解説には「薄明かりに包まれた北欧の森」という言葉があり、淡々とした筆致の中に詩情が宿る作品だと伝えていた。

夜の野原で2頭の馬が立っている
ニルス・クロー一ゲル(Nils Kreuger, 1858–1930)の《夜の暮れ》(1900年頃)は、薄紫色に染まった夜空と茶色の大地が広がる中、2頭の馬が描かれた作品だ。
画面左には低く黄色い月が浮かんでおり、その光を背に白みがかった馬が俯いている。右奥にはもう1頭、暗い色の馬が遠ざかるように立っている。筆触は渦を巻くように躍動しており、空全体がわずかに振動しているような印象を与える。馬の後ろ姿というモチーフが選ばれているのが面白く、正面から描くとドラマになるが、後ろ姿は静寂に向かっている。

絵の世界が、現実の食卓に飛び出していた
展示の出口に近いエリアに、展覧会メインビジュアルの前に実物の食卓が設えられた写真撮影スポットがあった。赤い椅子に木製のテーブル、白いランプシェード、花瓶と果物鉢、カップとソーサー。絵の中のラーション邸の食卓を再現したセットで、背後の大判ポスターと合わさると絵の中に入り込んだような錯覚を起こす。
来場者が交互に写真を撮っており、背景の絵との遠近感が自然につながって見えるよう、テーブルの高さや小道具の配置が細かく計算されていた。

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快晴の上野を背に、館を出る
展示室を出て建物の外に出ると、突き抜けるような青空が広がっていた。東京都美術館のコンクリートと煉瓦の複合棟が、強い日差しを受けて影を作っている。エスカレーターで降りてくる来場者の姿が見え、ミュージアムショップのあたりはまだ人の流れが続いていた。
北欧の静かな光を眺めてきた後に眺める東京の春の空は、どこか過剰に明るく感じられた。

北欧の光は「薄さ」ではなく「深さ」で勝負していた
「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展は、90点超の作品を通じて19世紀後半から20世紀初頭のスウェーデン絵画の広がりを見せる展覧会だった。
日常の食卓を描いたカール・ラーションの温かみ、水面の揺れを装飾的な模様に変えたフィエースタードの繊細さ、精神を病んだ時期に描き続けたヨーセフソンの強度、そしてヴァイキング時代の幻想を湖面に浮かべたアンカルクローナの叙事的な暗さ。各作家が追った光の種類はそれぞれ違っており、「北欧の光」を一つのイメージで括れないことが会場を歩いて分かった。
愛知での会期は2026年10月4日まで。作品数が多いので、2時間弱は見ておきたい展覧会だ。

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